2011-05-02
バンクーバー便り
メルマガは通常、ブログに掲載しておりませんが、様々な方よりお見舞いの言葉をいただき、また夏の問い合わせなどもいただいておりましたので、ブログに掲載させていただきます!
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よろしくお願いいたします。
大変ご無沙汰しております。
バンクーバーは、だんだん晴れの日が増え、ただまだ肌寒い日も多いのですが、徐々にではありますが、夏に近づいております。今日はバンクーバーマラソン(私は出ません)晴れのようです!
先の、東日本大震災にて、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さま、ご家族に、心からお見舞いを申し上げます。
もっと早くお伝えすべきでしたが、5月の遊学は申し訳ございませんが、キャンセルさせていただきます。数名の方よりご興味いただいておりましたが、地震の後も福島の件などいろいろありやむをえないと思います。7月はお申し込みいただいておりまして、催行の予定です。大きな余震があるかもと言われていますが、無いことを祈りつつ。
さて、私の生まれ育ったところも津波の被害を受けまして、皆様からたくさんの暖かいお言葉・お見舞いの言葉をいただきありがとうございます。おかげさまで実家は、壁に少しひびが入った程度で、津波の被害を受けた港側に比べますと天国といわれています。
地元(岩手県釜石市)では、五の橋というところがあり、そちらを境に天国と地獄と言われ、瞬時に家・家族そして職場を失った方たちには言葉がありませんが、皆さん力強く生きていらっしゃいました。
地震から一ヶ月前後に2週間ほど滞在し、被災した親類や友人を訪ねたり、NPOでお手伝いをしておりました。
釜石市内、数箇所の避難所を訪れ、沿岸部は全て周ったと思います。
津波の力はすごいとしか言い様がなく、小・中学生の被害がほとんどなかったと報道された釜石ですが、理由は多くの学校は高台につくられていること、そして津波の被害のあった学校も避難が徹底していたことです。
こちらの小学校は、学校から海まで約1キロ、その後小中学生は、山の高台へ歩いて逃げるのですが、その先の山の方まで、家はみごとに津波に流されています。現場を歩くとわかりますが、本当よく逃げたねと褒めてあげたいです。
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1104/13/news069.html
現場の鵜住居小学校です。よくご覧になるとわかりますが、3階には車がささったままです。
また、新日鉄釜石の工場もあるのですが、2〜3メートル高くした上に工場や事務所を建てていますので、被害はありましたが少なく、また社宅なども全て港から離れたところに移しているのです。備えあればですが、自然を甘く見ずきちんとしていましたね。
ちなみに、市内の古くからあるお墓は津波で濡れたところはあったものの、ほぼ無傷でした。家が数百軒流されているのに、通常高台にあるお墓は無傷。昔の人は、知っていたのですね。
津波は4波ほど続き、その後一晩水が引かず、皆さん寒い高台やビルの屋上で過ごしたそうです。翌朝、瓦礫の中を家族が心配で徒歩で帰った方々、やむ終えず2泊下方、様々なようです。
NPOのスタッフの皆さん曰く、数百人が病院に一泊したそうですが、周りの人たちと一つのマフィンを4つに割って食べたよね〜などと感慨深そうに話していました。
海外生活が長いからでしょうか?
やはり、治安の良さ(2〜3窃盗は残念ながらありましたが、金庫や壊れていない骨董のお皿・濡れたのかもしれませんが、たんすに入った着物など、たくさん目にしました。現金しか盗まないと言われればそれまでですが、私にはあることが驚きでした。夜もパトカーも多く、怖い思いはしませんでした)には感心しましたし、避難所を含め現地の人の心の美しさ・強さ・前向きな姿勢は素晴らしかったです。
デマやら誇張された表現は他の人のブログでも拝見していますが、私は避難所の親類・友人・知人との会話、そしてNPOで知り合った方々に接し、毎日感心ばかりしていました。いや、皆さん疲れがたまっていましたよ。でもその状況下でのあの行動はすごいです。
思ってみますと、何度か津波にあった地域ということだけではなく、戦中に米国から砲撃にもあい、焼け野原になった釜石には、景気がいいときより悪い時のほうが底力が発揮できる何かがあるのかもしれません。いや釜石だけではなく、日本人の気質でしょうか。
翌日から自衛隊の皆さんが孤立した場所からヘリで学校など避難所へ輸送し、取り急ぎ道路が通れるよう徐々にきれいにしてくださったそうです。また、遠方はるばる兵庫県警や大阪府警が多くのパトカーで乗り入れ、長野県のお医者様たちも翌日すぐに救援に入ってくださり、大阪からは民間のおじさんがトラックで炊き出しに来てくださったそうです!本当ありがたいことです!地震一ヵ月後からは、関西のみならず北九州市の職員の方もいらしてくださって公費で派遣してくださるということは、その町の方々も理解してくださっているということで、とてもありがたく思います。物資も全国からたくさん届いていました。
避難所の多くは、地震一ヵ月後あたりから、栄養面などを考え一食か二食はお弁当です。お弁当は量の面やら冷たかったり嫌じゃないですか?とお尋ねすると、少し温かいようですし、お味噌汁は作るそうで、お弁当のほうが好意的な意見でした。
また、現地で撮影しました写真は1000枚以上ございます。
寄付金に役立てるためなど、何か写真が必要でしたら、私の写真でよろしければ喜んでもちろん無料で提供させていただきます。出来ればご利用の際は、一言ご連絡いただけますと幸いです。
皆さんにお伝えしたいことばかりですが、地震関係はここまでです。私としては故郷ということもあり、今後も末永くお手伝いしていきたいと思っています。
さて、バンクーバーはもう少ししますとお花の季節です!
そして、遊学のみならず、夏休みの留学やホームステイ・コンドミニアムでのロングステイについてもお問い合わせいただいております。ホームページを変えなくちゃ!と思いつつ、時間ばかりが経過していて・・・でも、アップしますね。
また、コンドミニアム情報は、ご連絡いただいた方やブログなどに時折掲載させていただきます。
皆様どうぞお体ご自愛ください!
追伸:パンフレットの送付が遅くなった方もいらっしゃり、大変失礼いたしました。
追加:多くのお見舞いメールいただきありがとうございます!落ち着きましたらどうぞ岩手まで足を運んでください!
真澄
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